折敷

 実に7年ぶりの展覧会になる。今回の「折敷」という企画を浩彦さんに持ち込んだのは、確か2018年と記憶している。コロナ禍によって二度三度の会期延期を経て、ようやく陽の目を見ることになった。
 壺屋の暖簾をあげて20数年。他の有名陶芸店やギャラリーほど多くの酒器や食器を扱ってきてはいないにしろ、四半世紀の間には数多くの記憶に残る作品を扱わせていただいている。あるお客様から「せっかくいい酒器に巡り合えたのに、これで一杯やるときの折敷に気に入ったものがないのよね。」の一言から始まった今企画。
 山中いや日本中に轆轤の名手として不動の名声を得ている川北家に、折敷という今までの仕事とは少し違った方向性の企画。最初に浩彦さんに話を持ち込んだ時の、何とも言えない表情が忘れられない。二度三度と企画の内容を詰め、川北家が長年手間暇かけて集めた銘木での制作を依頼し、最初の日程が決まったのは確か2020年春開催。すでに横浜港での大型客船内感染の報道を経て、第一次の流行期に突入しており当然延期に。
 そうこうしているうちに、某放送局の美の壺という番組で「折敷」が放映(2021年1月)され世の中の注目と反響と共に、浩彦さんにも壺屋が求めている方向性を理解していただいたようである。ところが、折敷に対する注目度と比例するかのようなコロナ禍の波は、この企画の幾度目かの延期を余儀なくさせた。
 今考えると、この延期が壺屋にとっては、浩彦さんとの「折敷」というものに対するすり合わせに必要不可欠な時間であったように思う。また、この時間が浩嗣さん(子息)という新たなモノづくりの挑戦の機会となったようである。父上の良造先生にもご協力いただけるとのことで、親子三代共演が実現する実に楽しみな企画となった。時間というものの不思議、それは前を向き絶え間ない努力を惜しまないモノづくりには、必ず味方をするものだ。



神代欅水指・桜銀沃懸地盌

 楽しみな個展が間もなく始まる。川北さんとは年齢がひとつ違いということもあり話しやすく、お付き合いを始めてからかれこれこの5年間に、オリジナルの麦酒椀をはじめ多くの注文に快く応じていただいてきた。彼の実直なもの作りとしての性格は、見事に作品に反映されていて、その気品高く格調高い仕上がりに加え、そこはかとなく醸し出す温かい雰囲気と使い勝手の良さに、当店でもファンの方々が増えている。
 小松市の十二ヶ滝の風景に溶け込んだ左側の作品は、神代木(じんだいぼく)といわれる1千年以上前の埋もれ木、それも相当の大木であったことを彷彿とさせる美しい木目の欅材を、長い年月を掛けて乾燥させ歪を嫌う水指に仕上げた逸品で、リズム感のある銀線象嵌の美しさと相まって、非常に上品な仕上がりとなっている。また右側の盌は、桜材に沃懸地(いかけじ)という蒔絵の地蒔技法で、銀の鑢粉(やすりふん)を蒔き詰め、正面を絵唐津の鉄絵を連想させる動きのある搔き落としをすることにより素地の桜材の景色を生かし、盌全体に茶に適うリズムを巧みに生み出している。
 今回は店主のリクエストもあり、棗などを含め茶席で活躍する作品が中心の展覧となるが、虫喰いの景色を生かしたお盆や酒器などの食に纏わるうつわも展示予定である。また、父であり人間国宝の川北良造氏の作品も賛助出品していただく。
 川北浩彦というものづくり、時には大型バイクを操りツーリングに興ずるという活動的な一面を持ち合わせたシニア世代入口の彼が、天命を知り、脂の乗り切った作り手としてどのような形で作品を仕上げてくるのか、壺屋での初個展が実に待ち遠しい。


欅造盆

 加賀市山中で、父であり人間国宝でもある川北良造氏のもと30年以上轆轤と向き合って来た。その実直で温かい人柄に触れると、彼の作品から滲み出る品格の正体が少しわかったような気がする。
 彼のページを立ち上げるに相応しい作品をと、5月の連休に仕事場を訪ねた。おもむろに出てきたのが今回掲載の欅の盆である。尺6分の少し大きめの柾目。ふちにはさり気なく銀線象嵌が施されている。その美しい木目の欅材から醸し出される何とも表現できない品格の高さに家内とふたり息を呑んだ。思わず見入っていると、気持ちを察したかのように仕事場に居合わせた父・良造氏が近づいて来られ、使われている欅材についてのエピソードを語ってくださった。約40年前、当時日本一の大ケヤキといわれたご神木が立っている鹿沼市の神舟神社に、良造氏の師匠でもある人間国宝・氷見晃堂氏と同道した折のことを、まるで昨日のことのように懐かしそうに。 
 師匠から弟子へそして父から子へ、その欅材の一部を大切に受け継ぎ、ようやく盆としての生命を吹き込むに至ったのだという。愚問であろうが、このような永きにわたり生き続けた材に、鉋を入れる時の緊張や心持を浩彦さんに尋ねてみた。答えは「平常心で挽けるようにならなければ、手をつけることのできない材ですね。」と穏やかではあるが凛とした口調で語られた。そしてその眼差しからは、伝統という宿命に真正面から取り組んでいる人間の確かな歩みと自信が読み取れた。
 木の仕事は、やきものとはまた違う生命の琴線に触れる世界である。この項を終えるにあたり、この材についてもうひとこと付け加えておきたい。直径13尺5寸以上にも育った大木であるにも関わらず、まったく動かない(製材などの後に狂わない)そうである。
 「枯木花開劫外春」(人天眼目)。またひとりほんまもんのモノづくりが壺屋にやってきた。
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