素敵な方がこの春天国へ召された。6歳上の親代わりであり唯一無二の男兄弟であった。末期がんを宣告されてから1年半余りの間に、社長業の整理移行に始まり、身辺整理から果ては己の死に装束まですべてを自身で周到に準備し、旅立つ数ヶ月前まで趣味のゴルフから奥様・家族との旅行と、思う存分生き抜いた方であった。
一方、やきものに憧れ丹波での弟子生活、捲土重来を期し陶芸家を志した信楽での修行、そして六代・直方襲名前後の苦悩の日々。すべてを実家の九州八女の地から、時に励まし時に温かく見守り応援し続けてくれた方の死をどのように受け入れ、どのように見送られたのか。店主にとっては、知る由もない。
そんな中、さらにコロナ禍の中、深い慟哭の中にいる光春さんに『羅漢さま作ってみませんか?』と声を掛けた。阿羅漢、釈迦の弟子十六羅漢さまを己が掌から生み出す過程から新たな光が射すのでは、との思いも伝えて。
返事がいただけないまま数ヶ月が過ぎたある日。『結集での五百羅漢は無理までも、納得できるまでつくってみるわぁ。』との連絡。壺屋に所狭しとお出でになる羅漢さまを想い、このコロナ禍で閉塞しきった人々のこころに少しでも寄り添って欲しいと願った。
羅漢さまづくりもひと段落。DMの撮影にと窯場を訪れると、焼成前の羅漢さまが所狭しとお出迎えくださった。慟哭の中から生まれし苦悩の羅漢さまに始まり、直前に生まれし羅漢さまは微笑みを浮かべた愛おしいお姿であった。撮影も終え、夕焼け空が美しく光りはじめた陶房で帰り支度をしていると、直方氏が『ちょっとおもろい茶碗作って持っていくわぁ』とのひと言。
そこには、深い慟哭から新たな創作への標を見つけた陶芸師の顔があった。 |